好きなことを好きなだけ。創作活動で自分らしさを表現し、人生を楽しく豊かに生きる。

STORY & CHARACTERS(物語とキャラクターの舞台裏) 心のしおりと作品の記憶(作品紹介・ポートフォリオ)

昔作った物語に、もう一度会いに行く『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』が一冊の絵本になるまで

ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦表紙

https://frumosimage.com

こんにちは、ふるもーす(@frumosart)です!

3作目となるオリジナル絵本、『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』を出版しました。

舞台は、光の差し込む青い海の中。ビーバーとビーすけ、そして怪獣のデブラが海中散歩を楽しんでいたところ、ひょんなことから竜宮城へ連れていかれることに。

そこで出会ったのは、サメの乙姫さまと、困り果てた海の仲間たち。やがて3匹は、海の中で起きている“ある問題”を解決するため、小さな大作戦を始めます。

・冒険あり
・ちょっとしたドタバタあり
・新しい仲間との出会いあり

そして、最後には少しだけ心が温かくなる。そんな海の冒険物語です。

一見新しく考えて作った絵本のように見えるかもしれませんが、実はこの物語、ずっと前から存在していたんです。

というのも、この作品、元々はYouTubeで公開していた紙芝居アニメの一つでして。

当時の私は、ビーバーたちが登場する短い物語を作っては、1シーンずつデジタルで絵を描き、それをつなげて紙芝居アニメとしてYouTubeへ投稿していました。

気がつけば、その数なんと40本ほど!…『竜宮城大作戦』も、そんな作品群の中にひっそりと並んでいた一本だったんですね。

つまり、今回やったことは、新しい物語をゼロから作ることではありません。

昔の自分が作った物語を、数年後の自分がもう一度拾い上げて、「今の私だったら、この世界をどんな絵本にするだろう?」と、作り直すことでした。

しかも今回は、これまでの2冊とは違い、制作に初めて本格的に生成AIを導入!

最初はAIに対してかなり抵抗感もあった私は

「AIで絵を作るなんて、自分で描いたことになるんだろうか?」

「自分のキャラクターが、自分のキャラクターじゃなくなってしまうんじゃないか?」

と疑問を抱えながらおずおずと制作開始。

案の定、全然思い通りにいきませんでした…(笑)

キャラクターは勝手に別人になるわ、頼んでもいない部分を直されるわ、何度説明しても意図が伝わらないわ。

「もう無理なんじゃないか?」

と思ったことも、一度や二度ではなく。それでも試行錯誤を続けていくうちに、

変えていいものと絶対に変えたくないもの

その境界線が、少しずつ見えるようになりました。

そして不思議なことに、一冊作り終えた頃。私自身の中にあった「絵を描くって、何だろう?」という感覚が、以前とは少し変わっていたんです。

今回のセルフライナーノーツでは、絵本の詳しい制作方法や技術解説ではなく、

・なぜ数ある作品の中から『竜宮城大作戦』を選んだのか

・なぜ完成していた絵を、わざわざ作り直したのか

・なぜAIを使おうと思ったのか

・それでも絶対に変えたくなかったものは何だったのか

・竜宮城や乙姫に隠した、ちょっとマニアックな裏話

・物語の中に忍ばせた海洋プラスチック問題

・キャラクターたちへの個人的な思い

・表紙や本の構成に込めたこだわり

・制作中、一番苦しかったこと

そして、昔の紙芝居が本当に「一冊の本」になった瞬間のこと。

そんな、完成した絵本だけを見ていても分からない、この作品の内側にある話を作者自身の言葉でじっくり振り返ってみようと思います。

制作技術の解説というより、一冊の絵本が生まれるまでの、小さなドキュメンタリー。

そんな気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。

ななな、なんと、2万5千字超えの超大作になってしまったので、お暇な時にでも目を通してもらえたら。

それでは、絵本が出来るまでの物語をセルフライナーノーツとしてお楽しみ下さい!

>>まずは絵本をチェックしてみたい方はこちら

YouTube紙芝居をAIで作り直して再構築!『竜宮城大作戦』を選んだ2つの理由

ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦表紙

今回、3作目の絵本として選んだのが、『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』。

あやしいサーカスの絵本を持った手

1作目は『あやしいサーカス』。

ムシムシ王国のぼうけん絵本を持った手

2作目はアクリル絵の具を使って全ての原画を手描きした『ムシムシ王国のぼうけん』。

そして3作目。

「さて、次は何を作ろう?」

と考えた時、最初に浮かんだのは「今度は、すでにある作品を絵本にしてみよう」という安易な発想でした。我ながら、かなり現実的な理由です(笑)

物語を考えて、キャラクターを配置して、全シーンの構図を考えて、絵を一枚ずつ作って。一冊の絵本を0から作るとなると、それだけでも相当な時間がかかりますから…。

だったら、すでにYouTube紙芝居として完成している作品をベースにすれば、もう少し効率よく一冊作れるんじゃないか?と考えたのです。

問題は、「40本近くある紙芝居の中から、どれを選ぶか?」…候補はいくらでもありました。

・ギャグに振り切ったもの
・ドタバタコメディ
・ちょっと不思議な話
・ビーバーたちの日常

色々ありますが、その中で『竜宮城大作戦』を選んだ理由は大きく分けて二つ。

ベタ塗りのデジタルイラストを絵本風に生まれ変わらせたかった

第一に、絶対に絵本映えすると思ったから。

舞台は海の中。青い水、色とりどりのサンゴにイソギンチャク。貝殻や海の生き物たち。そして、その奥に待っている竜宮城。

ページをめくるたびに美しい海の風景が次々と現れる。

そんな一冊になったら、きっとすごく綺麗だろうなと思ったんです。というより、私自身がそれを見てみたかった、というのが一番大きい理由だったかもしれません。

元々、YouTube版を作っていた頃から海中のシーンを描くのは好きでした。

ただ、当時のイラストは輪郭線がはっきりしたシンプルなデジタル着彩。紙芝居アニメとして見るなら、これはこれで適切な表現だと思うんです。

でも、「今の自分なら、この海をもっと美しくできるんじゃないだろうか?」と思ったのも正直なところ。

・水面から差し込む光
・海底に揺れる波紋
・水の中を漂うような空気
・遠くへ行くほど淡く溶けていく青
・サンゴや海藻に囲まれながら泳いでいるビーバーたち

当時は描き切れなかったものまで含めて、「ふるもーすの海」をもう一度ちゃんと見てみたい。そんな気持ちが、だんだん強くなっていっていきました。

海の冒険に潜んだ自然破壊に対するメッセージ

そして、もう一つの理由は、物語そのものが絵本に向いていると思ったから。

『竜宮城大作戦』には、海への冒険があり、知らない相手との出会いがあります。ちょっとしたトラブルが起こり、困っている誰かがいて、みんなで力を合わせて問題を解決し、最後には小さな友情が生まれる。

YouTubeで作ってきた作品には、もっとギャグに振り切ったものも沢山あるし、作者としてはそういう話も大好きです。

だけど、紙の絵本として一冊にするなら単に笑って終わるだけではなく、ページを閉じたあと、ほんの少し何かが心に残る物語にしたかった。『竜宮城大作戦』には、それがありました。

しかも物語の奥には、海洋プラスチックという現実の環境問題をモチーフにしたテーマも隠されている。

楽しい冒険として読めるけど、読み終わったあとに、「海の中で暮らしている生き物たちにも、それぞれの日常があるんだな」と少しだけ想像してもらえる。

それなら、子どもにも大人にも読んでもらえる絵本になるんじゃないか。そう思ったんですね。

こうして、YouTubeに並んでいた約40本の物語の中から、数年ぶりに『竜宮城大作戦』を引っ張り出すことになったのでした。

完成していた作品をもう一度作り直す。絵本の世界観への挑戦

とはいえ、『竜宮城大作戦』はすでに物語も絵もあって、紙芝居アニメとして一本の映像になっている。

作品としてちゃんと完成しているのだから、

その絵をそのまま使って本にすればよいのでは?

とも一瞬考えました。

ですが、あえてそれはしませんでした。理由は、昔の絵が気に入らなくなったから…ではなくて、むしろその逆です。

当時のイラストには、当時にしか描けなかった良さがあったのは確か。ベタ塗りのデジタルイラストは非常にシンプルで分かりやすく、キャラクターも見やすいし、アニメーションとの相性もいい。

YouTube紙芝居として考えれば、今でもあの絵はあの絵で好きです。ただ、媒体が変われば、見せたいものも変わる。そう思ったんですよね。

YouTubeでは

・キャラクターが目立つ
・声の演技がある
・シチュエーションごとにBGMが変わる
・効果音の演出がある
・場面が次々と切り替わっていく

絵そのものがシンプルでも、映像全体で世界観を作ることができます。

でも絵本は違う。ページをめくった読者は、一枚の絵の前で立ち止まり

・キャラクターの表情を見る
・背景を見る
・端っこにいる小さな生き物を見る
・光を見る
・色を見る
・好きなだけ絵を眺められる
・紙の上に広がった世界を自分のペースでゆっくり歩き回れる

だったら、絵本ではもっと「その場所にいる感じ」を作ってみたい。そう思いました。

だから今回のリメイクでは、物語そのものを大きく作り直すのではなく、キャラクターたちが暮らしている世界の方をもっと深く描いてみることにしたんです。

たとえば、元の絵では描かれていなかったクジラ親子の寝床。

乙姫は、一体どんな竜宮城で暮らしているのか。

ビーバーたちが泳いでいる海には、どんな光が差しているのか。どんなサンゴがあって、どんな色の水があって、その場所にはどんな空気が流れているのか。

昔の自分が描かなかった余白を、今の自分が少しずつ埋めていく。でも、全部を新しくするわけではない。ここが今回、とても大事なところだったと思います。

昔の作品を「古いから新しくする」のではない。昔の自分が作ったものを土台にして、「今の自分なら、ここからどこまで世界を広げられるだろう?」と考えてみる。

だからこれは、リメイクというより、昔の自分との共同制作に近いのかも知れません。

昔の自分が物語を書いて、キャラクターを動かして、16枚の絵を残した。数年後の自分がそれを受け取って、背景を作り、光を入れ、空気を与え、一冊の本へ組み直していく。

そして、その間に入ってきたのが、当時の自分には想像もしていなかった新しい存在。…そう、生成AIです。

これが、『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』の制作を思っていた以上に長く、大変で、そして面白いものにしていくことになります。

「生成AIは私の絵を奪うものだと思っていた」という誤解とAI創作における可能性

正直言って、私は元々AIで絵を作ることに対してあまりいいイメージを持っていなかったんですよ。どちらかといえば、かなりネガティブな方だったと思います。

・ボタンを押したらロボットが勝手に絵を作ってくれる
・人間が苦労して描いていたものを機械が一瞬で作ってしまう
・ポン出しでそれなりのものが大量生産できる

無機質で、なんとなくズルをしているような感じがして、

「それって本当に自分の作品なのか?」

という疑問もあったりして。

そもそも、AIが自分の創作にどう役立つのかすら私自身よく分かっていませんでしたし。

ビーバーぬいぐるみ

ふるもーすのキャラクターたちは、自分が持っていたぬいぐるみをモデルにした小さな落書きから誕生しました。

最初は鉛筆で描いた白黒の絵。

そこからデジタルで色を塗るようになり、

アクリル絵の具画カブトムシを探すビーバー

アクリル絵の具にも挑戦し、

YouTubeでは紙芝居アニメとして動かしてみた。

その時々で使う道具や表現方法を変えながら、少しずつ「彼ら」の世界を広げてきた。だから、「新しい道具を試してみたい」という気持ち自体はずっとあった。

丁度生成AIが世の中で大きな話題になり始めていた頃。もしこれから先、AIがクリエイティブな分野でも当たり前に使われるようになるのなら、自分も少しずつ触っておいた方がいい。

それに、自分一人ではどうしても描き切れなかった

・光
・空気
・背景
・奥行き

そういったものを補ってくれるのなら、ふるもーすの世界を今までとは違う形で表現できるかもしれない。そんな期待もありました。

そこで今回、文章を書いたり、企画や構成を考えたり、相談したり、画像生成までオールマイティに扱えるChatGPTを制作のパートナーとして採用したんです。

とはいえ、最初から「AI最高!これで絵本が作れるぞ!」と無双モードになれるハズもなく。むしろ、全然言うことを聞いてくれなくてめちゃくちゃ苦労しました(笑)

AIで創作することはAIを理解することだった

最初にぶつかったのは、

「自分のキャラクターが自分のキャラクターではなくなってしまう」

という生成AIでイラスト作成するなら誰もがぶち当たる大きな壁。

元の絵を渡して「このキャラクターは変えないで下さい」とお願いしても

・目が変わる
・鼻が生える
・顔つきが変わる
・手足が増える
・表情が変わる

頼んでもいないのに、「もっと良くしておきました!」と言わんばかりに、勝手に別人になって返ってくる。

アメコミ風にされてしまった絵

違う違う、そうじゃない。そこは直してほしいところじゃない(by鈴木雅之)。

私が変えたいのは背景であって、キャラじゃない。

サンゴを折るシーンでポキッと擬音語が追加される(右)

何度説明してもダメ。指示を付け加えるとデザインが変わる。

鼻からイソギンチャクが生えたビーすけ(左)とサンゴを激しく破壊するデブラ(右)

さらに細かく説明してももっと崩れてしまう。

「……もしかして、無理なのでは?」

何度そう思ったか分かりません。確かにAIで0から綺麗な画像を作ることはできる。

でも、

すでに存在している自分の絵を、自分の絵のまま残して、世界観だけを豊かにする。

という、私が今回目指している方向性&やりたかったことは、AIにとっては意外な程に難しかったようで…。

考えてみれば当然なのかもしれません。生成AIは、新しく何かを“生成する”のが得意です。

だから元の絵を渡しても、

「ここをもっとこうした方がよさそう」
「こっちの方が自然」

と、良かれと思って再解釈してしまう。

でも私にとって、そこは余計なお世話でしかない。

だから途中から、AIに自分のやり方を合わせるのではなく、AIの性質を理解した上で、自分がやりたいことを実現する方法を探すようになりました。

どう伝えれば分かるのか。何を任せて、何を任せないのか。どこまでは自由にしてよくて、どこから先は絶対に触らせないのか。

・プロンプトを書き直す
・画像を比較する
・相談する
・失敗する
・また試す

そんなやり取りを、気が遠くなるくらい繰り返して。

そして、ある時。自分で描いたキャラクターが、ちゃんと「彼ららしい」まま、私が思い描いていた空気の中に立っている絵が出てきたんです。

その画像を見た瞬間、思わず、「これだ!」と思いました。

自分のキャラクターなのに、今まで見たことのない世界にいる。
昔から知っている姿なのに、初めて会ったような感じがする。

頭の中にしかなかった、「こういうふるもーすの世界を見てみたい」という景色が、一枚の画像になって目の前に現れている。

その瞬間、初めて本気で思いました。

これなら、絵本を作れるかもしれない、と。

そして制作を続けているうちに、私自身のAIに対する感覚も、少しずつ変わっていったんです。

道具(画材)としてのAIと自分自身の美学

以前の私は、AIで絵を作ることに対して、

・楽をしている
・ズルをしている
・自分で描いていない

そんなマイナスなイメージを持っていました。

でも実際にやってみると、少なくとも私がやろうとしていたことは、「何でもいいから綺麗な絵を作って」とお願いすることではなかった。

むしろ、自分の中にあるイメージを

「どうすれば相手に伝えられるのか?」
「私は何を表現したいのか?」

をひたすらに問い続ける作業でした。

背景は豪華だけど腕が三本生えて鼻が消えたビーバー

この光は違う。この表情は違う。この色ではない。

全体的にキャラが崩壊してしまった問題作

このキャラクターは、こんな顔をしない。

雰囲気は荘厳になったが少し竜宮城ぽくないかも

ここはもっと静かに。ここはもっと温かく。

キャラはマシになったが背景がギラギラしすぎ

背景は目立ちすぎないでほしい。

キャラクターが、この世界で安心して暮らしているように見せたい。言い換えれば、自分なりの美学をひたむきに追求していくこと。

そうやって何十回、何百回とやり取りしているうちに、AIは私の中で「勝手に絵を作る機械」ではなくなっていった。

それよりも、頭の中にある景色を外へ出すための、新しい画材。そんな感覚に近くなっていったんです。

鉛筆。アクリル絵の具。デジタルペイント。そしてAI。使う道具は変わっても、最後に「これは私の作品として出したい」と判断するのは自分自身。

何を描くのかを決めるのも、何を残して、何を捨てて、どこで完成とするのかを決めるのも自分です。それに気づいたことで、私の中にあった「描く」という言葉の意味が、ほんの少し広がったような気がしたんです。

AIとの共同制作で見えた、変えていいものと絶対に変えたくないもの

AIとの格闘を続ける中で、もう一つ、はっきりしたことがありました。それは、この作品で何を守りたいのか?ということ。

今回のリメイクでは、変えたい部分が沢山ありました。

・海の背景
・水の中の光
・色
・質感
・空気
・竜宮城の内部
・クジラ親子が暮らしている場所

元の紙芝居では描き切れなかったものを足して、ふるもーすの世界そのものをもっと豊かに見せたい。

でも、その一方で絶対に変えたくないものも存在していた。それが、キャラクターです。

キャラクターはそのままに彼らの暮らす空気や世界を表現したい

ビーバーがイソギンチャクをつついている。
ビーすけがちょっと間の抜けた顔をしている。
デブラが大げさに驚いている。

誰がどこを向いて、どんな格好をして、どんな表情をしているのか。私は、そういうものを「キャラクターの演技」だと思っています。

一枚の絵の中で、彼らはちゃんと演技をしている。セリフが書いていなくても、表情や仕草を見れば「こいつは今、こういうことを考えているんだろうな」と分かる。

そこには、そのキャラクターらしさがあります。だから、どれだけAIが「こっちのポーズの方が自然ですよ」と言ってきても、そこは絶対変えたくなかった。

なぜなら、キャラクターはふるもーすの命だからです。

私が描きたいのは、ものすごくリアルな世界でも、細部まで完璧に描き込まれた世界でもありません。

ふるもーすの世界には、ビーバーがいて、ビーすけがいて、怪獣のデブラがいます。タヌキも、イタチも、鳥や虫も。

イカだってタコだってクラゲだって、

宇宙人だって、挙句の果てにはイエティやツチノコまでいる(笑)

そんな彼らが、森や海や湖や川や、時にはもっと不思議な場所で、当たり前のように暮らしている。

私は、その日常を読者に少しだけ覗いてもらいたいんです。だから、背景はキャラクターより目立たなくていい。

でも、ただの背景でもない。そこには光があって、空気があって、温度がある。キャラクターが悲しければ、少し静かな空気が流れる。楽しい場面なら、光まで一緒に踊っているように見える。

背景は世界を説明するためのものではなく、キャラクターが安心して暮らせる場所を作るための舞台装置。

今回の制作を通して、そんな考えが少しずつ形になっていきました。

アナログ風の着彩をAIで表現したかった

そのために選んだのが、淡い絵の具を何層にも重ねたような、Soft Layered Gouacheという方向性。

デジタルなのに、どこか手で塗ったような跡が残っている。綺麗すぎない。均一すぎない。紙の上に絵の具を置いたような、少し柔らかな質感。

そしてキャラクターたちは、ふわふわのぬいぐるみというより、コロンとした木のおもちゃのような存在感を意識。リアルでなくていい。精密でなくていい。でも、そこに「いる」ように見えてほしい。

海底を泳いでいるビーバーたちを見た時、「絵が上手いな」と思ってもらうことより、「なんだか、この海の中へ行ってみたいな」と思ってもらえたら、それが一番嬉しい。

…そんな気持ちで、一枚ずつ世界を作っていきました。

そして、この考え方は、やがて一冊の絵本だけに留まらなくなっていきます。

キャラクターは守る。世界は広げる。色ではなく、空気で感情を伝える。背景は主役にならず、キャラクターたちの暮らしを包み込む。

後にProject LUMINAと呼ぶことになる制作の考え方は、振り返ってみると、この『竜宮城大作戦』を作りながら少しずつ生まれていったのだと思います。

浦島太郎を、ふるもーすの世界へ連れてきた

そもそも、なぜ彼らが暮らす場所として「竜宮城」を選んだのでしょう?

…実はここにも、私の趣味がかなり入っています。

『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』というタイトルの通り、今回の物語の舞台には竜宮城が登場します。もちろん、元ネタは日本昔話の『浦島太郎』。

でも、最初から「浦島太郎をアレンジした物語を作ろう!」と考えていたわけではなく、当初頭にあったのは、もっと単純な発想です。

海の中を冒険する話を作りたい。
でも、ただ海の中をずっと泳いでいるだけでは、物語の舞台として少し寂しい。
せっかくなら、途中でドーンと出てくる象徴的な場所が欲しいな。

そこで思いついたのが、竜宮城という舞台装置だったんです。

裏テーマと物語の仕掛けのポイントは昔話と民俗学?

私は昔から、

・日本の昔話
・世界各地の神話や伝説
・民話や童話、おとぎ話

といった民間伝承のようなものが大好きで。

文化人類学や民俗学、神話学のような世界にも興味があり、

「どうしてこんな物語が生まれたんだろう?」
「同じような話が、なぜ遠く離れた土地にもあるんだろう?」

なんてことを考えるのも好きでした。

昔話というのは、ものすごく古いものなのに、何百年、何千年と形を変えながら、今も私たちの物語の中に生きています。

だったら、そんな

昔話のエッセンスをふるもーすの世界にポンと放り込んでみたらどうなるんだろう?

そう考えたんですね。

海の昔話といえば、やっぱり浦島太郎。亀がいて、乙姫がいて、竜宮城があって。でも、ふるもーす版では、当然そのままにはなりません。

浦島太郎では、浦島太郎が助けた亀に連れられて竜宮城へやってきます。一方、ビーバーたちは怒った亀に無理矢理連行されます。…いきなり大分違いますね(笑)

しかも、竜宮城で待っている乙姫も美しい着物を着た人間の女性…ではなく、何故かサメの姿をしている。これも、ただ「サメの乙姫って面白そう!」だけで決めたわけではないのです。

実は私なりに、ちょっとした裏ネタを忍ばせていました。

浦島太郎と「豊玉姫」のオマージュ

浦島太郎の乙姫について考えていた時、日本神話に登場する海神の娘・豊玉姫という存在に行き着きました。

彼女には、海の生き物を思わせる異形の姿にまつわる伝承が沢山残っています。一説には、乙姫の正体は実は鮫やワニだったという説まであります。

そこで、「だったら、ふるもーす版の乙姫はサメにしてみよう」というアイデアが浮かんできて。この辺は知らなくても物語には全く支障ありません。

ただ、知っている人が見たら「もしかして…?」と思ってもらえるネタというか。こういう、分かる人にだけ分かる小さな裏要素を入れるのが私は結構好きなのです。

そして結果的に、

・サメという少し怖そうな見た目
・毅然としているけれど実は心優しくて繊細な乙姫の性格

という要素がいい具合に乙姫というキャラのギャップになりました。

持ち帰ったのは玉手箱ではなく関係性

さらにもう一つ、浦島太郎とふるもーす版『竜宮城大作戦』で、私が結構気に入っている違いが「地上に持ち帰ったモノ」。

浦島太郎は竜宮城で夢のような時間を過ごし、最後に玉手箱をもらって帰ります。

でも、ふるもーす版では、ビーバーたちは乙姫の悩みを聞き、困っているクジラ親子を助け、海をきれいにするために皆で動きます。

そして事件が解決したあと、彼らが竜宮城から持ち帰ったものは、金銀財宝でも、玉手箱でもありません。

海の仲間たちとの、小さな友情でした。

…それでいい。むしろ、ふるもーすの世界なら、それが一番いい。そんな気がしています。

そして、この「困っている誰かを助ける」という物語の奥には実はもう一つ、現実の海に繋がるテーマが隠されていたりして。

それが、物語の中でキラキラと輝く「星屑」というモチーフです。

キラキラ輝く「星屑」に隠した海の悲しい話

『竜宮城大作戦』には、海の中に落ちている星屑というものが登場します。名前だけ聞くと、なんだかとても綺麗ですよね。

青い海の中に、キラキラと輝く星の欠片が落ちている。ファンタジーの世界なら、宝石のようにも見えるかもしれない。

でも、この星屑には現実世界のモデルがあります。それは、海へ流れ込んだプラスチックごみです。

前作『ムシムシ王国のぼうけん』では、森で起きている「ナラ枯れ」という環境問題を物語のモチーフとして使いました。

そして今回の舞台は、海。

だったら、

海の中で実際に起きている問題を何か物語へ取り入れられないだろうか?

そう考えて調べているうちに、海洋プラスチックの問題に行き着きました。

ただ、私はこの作品を環境問題について勉強するための本にはしたくなかった。もちろん、知るきっかけになってくれたら嬉しいですよ。

でも、

「海を汚してはいけません」
「ゴミを捨ててはいけません」

と正面から言うだけでは、ふるもーすの物語としては少し違う気がして…。

物語を読んで、キャラクターを好きになって、海の中で暮らす生き物たちへ感情移入して、その結果、ほんの少しだけ現実の海にも思いを馳せてもらえたら。

そのくらいの距離感が、私には丁度よかった。

そこで、プラスチックごみをそのまま描くのではなく、「星屑」という架空のものに置き換える(=メタファーとして扱う)ことにしたというわけです。

海洋プラスチック問題を物語を通して自分事として考える

海の中をキラキラ漂っている星屑。綺麗だから、子クジラは食べ物と間違えて飲み込んでしまう。そして体調を崩してしまう。

困り果てるお母さんクジラ。心配する乙姫。そこへ、何も知らないビーバーたちがやって来る。

最初は、自分たちとは何の関係もなかった出来事です。でも、事情を知ってしまった。困っている誰かと出会ってしまった。

だったら、自分たちにできることをやってみよう。そこから、彼らの「竜宮城大作戦」が始まります。

ふるもーすの世界には、本当にいろいろな生き物が暮らしています。

・海
・川
・湖
・森
・山
・ジャングル
・洞窟
・砂漠
・空

そして時には、現実には存在しないような場所にも。

そこには普通の動物だけでなく、怪獣も、宇宙人も、イエティも、ツチノコもいる。

でも、彼らにとっては、そこが普通の生活の場所です。私たちに家があるように、クジラにはクジラの暮らす海がある。カブトムシには森がある。ビーバーたちにも、帰る場所がある。

だから私は、環境問題そのものを描きたいというより、「そこに暮らしている誰かがいる」ということを描きたかったのかもしれません。

自然を守ろう。海をきれいにしよう。もちろん、それも大事です。

でもその前に、その海で暮らしているクジラ親子を好きになってもらえたら。その森にいるカブトムシを好きになってもらえたら。

ビーバーたちと一緒にその場所を歩き、

「この世界、なんだかいいな」

と思ってもらえたら。

その場所が壊れてほしくないという気持ちは、あとから自然についてくるんじゃないだろうか。…私はそんな風に思っています。

ページめくり縦カブクワ出会いシーン

だから、『ムシムシ王国のぼうけん』では森。『竜宮城大作戦』では海。

意図してシリーズ化したわけではなかったのですが、振り返ってみると、どちらにも同じような精神=スピリットが流れていました。

キャラクターたちが安心して暮らせる場所を守ること。

それは、絵を作るときに私が考えていた、「背景はキャラクターが安心して暮らせる舞台であってほしい」という感覚とも、どこかでリンクしているような気がします。

絵の中でも。物語の中でも。私が守りたかったのは、案外ずっと、彼らが安心して暮らせる世界だったのかもしれません。

環境問題の先にある未知との遭遇と利他の精神

さらにこの物語にはもう一つ、環境問題よりさらに奥に、私自身がこっそり忍ばせていたものがあります。

それは、知らない誰かと出会うこと。そして、自分とは関係のなかった誰かのために、皆で力を合わせること。

ビーバーたちは、最初から世界を救おうとして海へ出かけたわけではありません。ただ、遊びに行っただけです。

でもそこで、知らない世界に入り、知らない相手と出会い、知らなかった問題を知る。そして最後には、その人たちと友達になって帰ってくる。

だからこの物語は、海洋プラスチックを扱った物語であると同時に、私にとっては「未知との遭遇」の物語でもあり、「誰かのために動くこと」の物語でもあります。

そう考えると、浦島太郎という昔話を物語の中へ持ち込んだことも、クジラ親子との出会いも、みんなで星屑を拾うラストも、一本の線で繋がって見えてきます。

そんな少し真面目なテーマを背負っているのに、実際にその世界を動き回っているのは、相変わらず、かなりクセの強い連中なんですけどね(笑)

クセの強すぎるキャラクターたちの愛おしさ

ここまで、環境問題や民間伝承、AIと創作、世界観…と、真面目な話を沢山してきました。

でも、実際にその物語の中を動き回っている本人たちは、そんなこと多分何も考えていません。ビーバーたちは「今日は海洋環境について考えよう!」なんて言って海へ出かけたわけではない。

いつものように遊びに行って、そこでデブラがうっかりやらかした。怒った亀が現れて、竜宮城へ連れていかれた。困っているクジラ親子と出会い、気づけばなんだか大変なことになっていた。

多分本人たちの感覚としては、そのくらいです。

私は昔から、キャラクターを物語のメッセージを伝えるためだけの「役」にしたくないという気持ちを心のどこかに持っていました。

環境問題を扱うからといって、急にビーバーが立派なことを語り始めたら、それはもうビーバーじゃない。

彼は彼のままでいてほしい。適当で好奇心旺盛で、ノリと勢いで雑に動いて、イソギンチャクを見つけたらとりあえずツンツンする(笑)

でも、そんな彼だからこそ、ふと口にした一言が事件解決のきっかけになったりもする。

破天荒なのに核心を突いた発言をする主人公

今回、改めて物語を振り返ってみると、ビーバーって意外とキーパーソンだったんだなと気づきました。本人には、全くそんな自覚はなさそうですが。

海の中で星屑を拾う場面では、しっぽに袋を引っかけてスイスイ泳いでいる。こういうところも、妙にちゃっかりしています。

作者としては、とにかくセリフを考えやすいキャラクターです。「こいつなら、たぶんこう言うだろうな」が自然と出てくる。

長く付き合っているからなのか、こちらが動かしているというより、勝手に喋ってくれる感覚に近いのかもしれません。

ちなみに今回、画像制作では一番苦労させられたキャラクターでもあります。理由は単純。鼻がないから!!

AIはどうも、顔には鼻があるものだと思っているらしい。でも、ビーバーにはない。ここだけは譲れません。何度勝手に鼻を生やされたことか…。

物語の中でも制作現場でも、何かと手のかかる主人公です。

賢いのにどこか残念な男の子?完璧すぎないビーすけの親近感

一方、弟のビーすけ。こちらは兄よりも頭がよくて、基本的にはしっかり者です。物事をちゃんと考えられるし、いざというときには解決策を出してくれる。

今回も、クジラを助けるための方法を突然思いつくのはビーすけ。薬を作るのが趣味だったりして、兄とは違う方向に結構すごい子です。…なのですが。

ちょいちょいマヌケなんですよね。星屑を拾っているはずなのに、ウニを拾う。ワカメが足に絡まる。しっかりしているのに、どこか鈍臭い。

私はこのギャップが結構好きです。何でもできる優等生にしてしまうより、こういうところがあるから、ビーすけらしい。

兄がノリと勢いなら、弟は頭脳派。でも、どちらも完璧ではない。二匹一緒にいることで、ちょうどいいバランスになる。

気のいい奴だけど何故かやらかしがち?かいじゅうのデブラ

そして、今回の事件を引き起こした張本人・デブラ。そもそも、彼がやらかさなければ、この物語は始まらなかった。そそっかしくて、陽気で、気のいい奴。

でも、ついついやらかす。驚いて慌てる。泣いて笑って、心配する。とにかく表情が忙しい。今回の登場人物の中では、一番感情が顔に出るキャラクターかもしれません。

でも面白いのは、最初に問題を起こしたデブラが、後半では自分から「みんなで海をきれいにしよう」という側へ回っていること。

失敗して怒られて、でも、そこで終わらない。自分なりにできることをする。作者としてそこまで計算して作ったわけではなかったのですが、改めて見ると、デブラにもちゃんと小さな成長がありました。

物語を締める名脇役・亀とエビ・カニ

そんな自由人たちを相手に、物語を締めてくれるのが亀です。生真面目でちょっと慇懃無礼。目つきが絶妙に悪いところもご愛敬。そして、乙姫のことを大切に思っている。

ビーバーたちだけでは物語がどこかへ飛んでいきそうなところを、亀がいることで、ちゃんと竜宮城へ連れていってくれる。事情も説明してくれるし、話も締めてくれる。一匹いると非常に助かるキャラクターです。

脇役といえば、要所要所で現れるエビやカニも、口が悪いくせに照れ屋で実はいい奴らですし。

今作のヒロイン・乙姫は内と外のギャップが魅力

そして乙姫。今回の物語では、彼女はビーバーたちより少し大人の位置にいるキャラクターです。

毅然としていて、誰に対しても公平で、簡単には感情を表へ出さない。竜宮城を預かる者として、ちゃんと責任を背負っている。

でも、内面はとても優しくて繊細です。そんな乙姫がいることで、ビーバーたちのわんぱくさが、逆に際立つようになりました。

そして私は、物語の最後で、しっかり者の乙姫がビーバーたちとの出会いによって、ほんの少しだけ心を開くところが好きです。ものすごく大げさな友情ではない。「今日から親友だ!」という感じでもない。

でも、最初は見知らぬ相手だった者同士が、一つの出来事を通して少しだけ近くなる。『竜宮城大作戦』で描きたかった友情は、そのくらいの、ささやかな距離の変化だったのだと思います。

物語の鍵となるクジラ親子

そして、物語の中心にいるクジラ親子。心配性で、ちょっと過保護なお母さん。そして、無邪気な子クジラ。子どもが苦しんでいるのに、自分にはどうすることもできない。

そんな母クジラの不安を描いているうちに、思っていた以上に愛着が湧いてきました。

この親子がいたからこそ、星屑の問題が単なる「海が汚れています」という話ではなく、誰かの暮らしに起きた出来事になったのだと思います。

不完全さが愛着や親近感に繋がる?ふるもーすのキャラクターたち

こうして振り返ってみると、本当にみんな少しずつ面倒臭いし、何かしら欠点があるけど、そこが可愛い。

私は多分、完璧なキャラクターにはあまり興味がないのだと思います。

ちょっと抜けている。失敗する。怒る。拗ねる。慌てる。でも、いざというときには誰かのために動ける。

そんな彼らが、今日もどこかで勝手に暮らしている。私はその様子を物語という形で、少しだけ覗かせてもらっている。

キャラクターを作るというより、長く描いているうちに、「このキャラならこうするだろうな」という人格のようなものが、少しずつこちらの手を離れて育っていく。

それも、同じキャラクターを長く描き続ける面白さなのかもしれません。

1枚の絵から「36ページの絵本」へ。絵本の形と構成へのこだわり

絵も物語もある。だけど、それだけではまだ「絵本」にはなりません。

今回改めて感じたのは、一枚の絵を作ることと、一冊の本を作ることは、まったく別の仕事だということでした。

絵本には、決まった形、大きさ、ページ、表紙があって、ページをめくる順番がある。そして、読者が本を開いてから閉じるまでの時間がある。

だから今回、私は単に絵を並べるだけではなく、「この本を手に取った人に、どうやって海の中へ入ってもらおう?」ということを考えました。

まず、本の形は横長に確定。理由はシンプルに「海を広く見せたかったから」。

海という場所には、横へ横へと広がっていく感じがあります。視界の端まで続く青。遠くに見えるサンゴ。その中を泳ぐ小さなキャラクターたち。

一枚の絵として、その広がりをちゃんと見てほしい。だから、縦長ではなく横長。文章を読むことだけではなく、絵を見る時間そのものを楽しめる本にしたかったんです。

ページを開いた瞬間、海の中へ落ちてほしかった

そして最終的に、この本は36ページになりました。

ただ、私にとって大切だったのは、「36ページ」という数字そのものではありません。

物語が始まる前。物語が進んでいる時間。そして、物語が終わったあと。その全部を、一冊の中に入れたかった。

だから、本編が始まる前に、言葉のない見開きページを作りました。

トビラをめくると、見開きいっぱいに海が広がる。まだ、物語は始まりません。ビーバーたちのセリフもない。説明もない。ただ、海がある。

私はここを、読者がふるもーすの世界へ入るためのワンクッションにしたかったんです。映画館で照明が落ちて、スクリーンに最初の風景が映し出される。そんな感覚に近いかもしれません。

本を開いた瞬間、いきなり物語を説明されるのではなく、まず、海の中へ落ちてほしい。青い水の中へ入って、少し周りを見渡して、そして次のページをめくる。

そこで初めて、ビーバーたちが現れる。

「ああ、この世界でこれから何かが始まるんだ」

そんな気持ちになってもらえたらいいなと思いました。

物語の終わりの先にある絵本の出口と余韻

そして、入口を作ったのなら、当然出口も欲しい。物語の最後。事件が解決して、ビーバーたちの冒険が終わる。

でも、そこでいきなり奥付になって「はい、おしまい!」にはしたくありませんでした。楽しかった映画が終わったあと、エンドロールが流れている間、少しだけ席に座っていたくなることってありますよね。

物語からいきなり現実へ戻りたくない。その余韻を、絵本の中にも作りたかった。

そこで本編のあとに、静かな「ありがとう」のページを置きました。大きな事件はもう起きないし、セリフもない。ただ、物語の余韻だけが残っている。

そして同時に、「ビーバーたちの冒険は、これで全部終わったわけではない」という気配も、ほんの少し残しておきたかった。

どこか別の場所では、また次の物語が始まるかもしれない。そう考えると、このページは、エンディングであると同時に、次の冒険へ続く小さな扉でもあります。

入口と出口。この二つを作ったことで、36ページという本そのものに、ひとつの呼吸が生まれたような気がします。

一冊の顔――表紙と裏表紙に込めた、小さな仕掛け

そして、本の中身と同じくらい悩んだのが、表紙。

表紙は、読者がこの作品と最初に出会う場所です。物語をまだ知らない。乙姫もクジラ親子も星屑が何なのかも知らない。そんな人に、最初の一枚で何を伝えるか。

あれこれ考えた結果、表紙にはビーバー、ビーすけ、デブラの3匹が海中散歩を楽しんでいる場面を使いました。

あえてネタバレしないイラストを選んだ理由

この絵には、物語の大きな事件は描かれていません。竜宮城もないし、乙姫も、苦しんでいるクジラもいません。

あるのは、青い海。差し込む光。色鮮やかなサンゴ。イソギンチャク。クマノミ。そして、楽しそうに海を進んでいく3匹。私は、それで十分だと思いました。

表紙を見ただけで、「これから海の中で何か楽しいことが始まりそう」と思ってもらえればいい。物語の答えを表紙で見せる必要はない。

むしろ、まだ何も知らない3匹と一緒に、読者にも海へ入ってほしかった。

元々この絵は、16枚あった旧作イラストの一枚でした。本編を15シーンの見開き構成に整理すると、ちょうど一枚余る。

しかも序盤には似た構図の場面がいくつかあったため、一番華やかで、なおかつ物語の核心をネタバレしないこの絵を、本の顔として使うことにしたのです。

結果的に、青を基調にした海の美しさと、キャラクターの可愛さ、これから何かが始まりそうな躍動感。その全部が入った、とても『竜宮城大作戦』らしい表紙になったと思っています。

裏表紙に込めた演出の仕掛けと見せ方

そして、もう一つこだわったのが裏表紙。

最初は亀にしようか、乙姫にしようか、色々迷いましたが、最終的に選んだのはクジラ親子。理由は、この親子こそが、語を動かす大切な存在だから。

まだ本を読んでいない人が裏表紙を見たら、「あ、クジラも出てくるんだ」ということだけが分かる。そして、その下にはこんな短い言葉を添えました。

あれ? 海の中で、だれかが困っているみたい。

何が起きているのかは、まだ分からない。でも、ちょっとだけ気になる。表紙が「海へ行ってみよう」だとしたら、裏表紙は「この海で、何かが起きているみたい」という小さな予告編。

そして面白いのは、物語を最後まで読んだあと。本を閉じて、もう一度裏表紙を見ると、そこにはさっきまで物語の中で見ていたクジラ親子がいる。

すると、読む前にはただの「知らないクジラ」だった親子が、今度は自分が知っている誰かに見える。「ああ、この親子だったんだ」と、ほんの少しだけ物語を思い出す。

本を開く前と、読み終わったあと。同じ裏表紙なのに、見え方が少し変わる。もしそんな仕掛けになっていたら、作者としてはすごく嬉しいですね。

竜宮城大作戦を象徴するシーンと一番好きなシーンは?

もし、15枚ある本編シーンの中から「この作品を象徴する一枚を選んでください」と言われたら。

私はScene 8を選びます。乙姫に案内され、ビーバーたちがクジラ親子のもとへ向かう場面。そこで初めて、苦しんでいる子クジラと対面します。

ここまでは、ある意味、知らない海を冒険する物語でした。海で遊んでたらデブラがやらかして、亀に連れていかれて、竜宮城へ行って乙姫と出会う。

でも、Scene 8からは、物語の意味が変わります。「この子を助けたい」という目的が生まれる。

ここから、ビーバーたちは事件の当事者になっていきます。だから、ストーリーの折り返し地点としても、とても大切な一枚です。まさに、クジラ親子から始まる物語の転換点というべきシーン。

そして絵としても、私はこのScene 8がとても気に入っているんです。クジラ親子が暮らす、静かな海の寝床。淡い光。水の中に漂う空気。心配そうなお母さんクジラ。弱っている子クジラ。

元の紙芝居にはなかった空間を新しく作り、その中に昔描いたキャラクターたちを置いた。アナログのような淡い着彩。デジタルの調整。そしてAIによって生まれた背景や空気。

今回試したいと思っていたものが、かなりいいバランスで一枚に収まった絵でもあります。

でも、「じゃあ、一番好きな一枚は?」と聞かれたら、答えは別。

私が一番好きなのは、Scene 13。みんなで海の星屑を拾う場面です。この一枚が、とにかく好きなんです。

ビーバー。ビーすけ。デブラ。亀。エビ。カニ。クジラ。それぞれが海の中を動き回って、それぞれの方法で星屑を拾っている。真ん中では、ビーバーが妙に自信満々に泳いでいる。

その一方でビーすけは、ウニと星屑を間違えたり、ワカメを足に絡ませたりして、しっかりパニックになっている(笑)真面目なテーマを扱っているのに、ちゃんと彼ららしい。そこが好きです。

そして、みんなで星屑を拾うことで、海は少しずつきれいになっていく。クジラ親子を助けるという個人的な出来事から始まった行動が、結果として、そこに暮らすみんなのためになっていく。

誰かのために動くこと。みんなで力を合わせること。自分たちが暮らす場所を大切にすること。

今回の物語に込めたものが、この一枚にはほとんど全部入っています。

しかも、Soft Layered Gouacheの淡い着彩。海面から差し込む光。海底に揺れる波紋。色とりどりのキャラクターたち。

今回作り上げた画風と、ふるもーすの世界との相性も、この絵で一番うまく噛み合ったように感じました。

だから、もしこの絵本を一枚だけで説明しろと言われたら、私はScene 13を見せるかもしれません。この一枚を見れば、私がこの絵本でやりたかったことが、だいたい全部分かる。

それくらい、大切な一枚になりました。

泥臭かった終盤戦と紙の上に海が現れた瞬間

ここまで、AIとの試行錯誤。画風づくり。キャラクター。物語。本の構成。表紙…と、多岐に渡って話をしてきました。

こうして完成したあとから振り返ると、全部が最初から一本の線で繋がっていたようにも見えます。

記事を読んでいるだけだと、なんとなく最初から最後まで順調に楽しく絵本を作っていたように見えるかもしれませんね。でも、実際の制作中はそんなにスムーズではありませんでした。

むしろ、「これ、本当に完成するのかな?」と思っていた時間の方が長かった気がします。というか、ぶっちゃけ「もう無理なんじゃないか」と思った回数なら、かなり自信があります(笑)

ここからが、この一冊を作るうえで一番長く、一番泥臭かった時間とリアルな作業の話です。

生成AIでイラストを作ることは簡単じゃなかった

今回、一番大変だったのは、やっぱり絵でした。そもそも私がやろうとしていたのは、AIにゼロから絵を描いてもらうことではありません。

すでに自分が描いたキャラクターがいる。構図がある。表情が、ポーズがある。海藻やサンゴといった、残したい要素もある。

それらを壊さずに背景を作り、光を入れ、水中の空気を作り、アナログ画材のような質感へ変えていく。言葉にすると簡単ですが、これが本当に難しかった。

背景は綺麗になった。でもキャラクターが変わった。

キャラクターは守れた。でも今度は絵全体が不自然になった。

色はいい。でも光が違う。

雰囲気は好き。でも、これはふるもーすじゃない。

何度も、そんなことを繰り返しては、ただただ時間だけが過ぎていきました。

「もう無理かもしれない」と思った。それでも一冊にしたかった

特に苦しかったのは、「AIなら何でもできる」と思っていたところから、「AIにもできないことがある」と分かってきた頃。ゼロから画像を作るなら、驚くほど綺麗なものを出してくれる。

でも、

自分の絵を自分の絵のまま残しながら、必要なところだけを変える。

それが思った以上に難しくて、何度もさじを投げそうになりました。

こんなに苦労するなら、最初から全部自分で描いた方が早いんじゃないか。

そもそも、こんな方法で一冊分の絵を統一するなんて、無理なんじゃないか。

何度もそう思いました。でも…ここで諦めたら、あの海は見られない。

自分の頭の中にある、光の差し込む海。淡い色。コロンとしたキャラクターたち。サンゴの間を泳ぐビーバー。静かなクジラの寝床。竜宮城の中で待っている乙姫。

私は、それを見てみたかった。結局、最初にこの作品を選んだ理由へ戻ってくるんです。

誰かに求められたわけでもない。締め切りがあるわけでもない。絶対に作らなければならない理由もない。でも、自分が見たい。だから、もう少しだけやってみる。

それを何度も繰り返しました。そしてようやく、一枚。また一枚。「これならいける」と思える絵が増えていきました。

最初は偶然だったものが、少しずつ方法になっていく。

「この伝え方なら理解してくれる」
「ここはAIに任せていい」
「ここから先は触らせない」
「このキャラクターは絶対に変えない」

何度も失敗したからこそ、少しずつ、AIと一緒に自分の絵を作るためのルールができていきました。そして、15シーン分の世界が、ようやく一つに繋がっていく。

ああ。やっと、絵が終わった。

その時は、本当にホッとしました。

これで一番大変なところは終わった。あとは本にするだけ。そう思いました。…でも、甘かったです(笑)

絵が完成しても絵本は完成しなかった!高解像度化の恐怖とレイアウトの壁

絵が終わったあとに待っていたのは、「一冊の本にする」という、まったく別の仕事でした。

・絵をページに置く
・文章を置く
・文字の大きさを決める
・余白を見る
・ページを並べる
・導入を作る
・あとがきを作る
・奥付を作る
・QRコードを入れる
・表紙を作る
・印刷できるデータにする
・実際に紙へ出して確認する
・そして、直す

絵を作っている時は、絵が完成すればゴールだと思っていたけれど、実際はそこからまた別の山登りが始まってしまった。

「まだ終わらないの?」と、何度思ったことか。

しかも途中で、せっかく完成させた絵を絵本のサイズに合わせてもう一度調整しなければならないことが分かって撃沈。あれだけ苦労して作ったのに…また??

さらに、印刷するには画像の解像度についても確認しなければならない。場合によっては、高解像度化する必要があるかもしれない。

そこで頭をよぎったのが、

「これ、高解像度化したら絵が変わってしまうんじゃないの?」

という恐怖。やっとできたのに。何度も失敗して、ようやく、「これだ」と思えたのに。

ここでまたAIに触らせたことで、キャラクターが変わったら?
表情が変わったら?
せっかく作った空気が消えたら?
あの苦労を、もう一度最初からやるの?

このときは、かなり落ち込んだ&絶望しましたね。

でも、この問題も一つずつ調べて、一枚ずつ確認して、必要なものだけを処理していきました。

制作を通して、何度も同じことを学びました。問題が起きたからといって、全部をやり直す必要はない。何が問題なのか。どこまで直せばいいのか。直さなくてもいいものは何なのか。

一つずつ切り分ければ、ちゃんと前へ進める。

振り返ってみると、この考え方は今回の制作全体を支えてくれたものだった気がします。絵でもレイアウトでも印刷でも。そして、AIとの付き合い方でも。

「これだ」と思える一枚が生まれた瞬間

…苦しいことばかり書いてしまいましたが、もちろん、それ以上に嬉しい瞬間もありました。

中でも忘れられないのは、何度試しても思い通りにならなかった絵が、ある瞬間、突然、自分のイメージと重なった時。画面に出てきた絵を見て、「そうそう!」と思う。

この光。この空気。この色。そして、このキャラはちゃんと、私が描いたあのキャラのまま。

その瞬間の嬉しさは、ちょっと不思議なものでした。自分で描いた絵なのに、自分だけでは描けなかった景色になっている。AIが作ったものなのに、誰か知らない人の絵には見えない。

ずっと頭の中にあったものが、ようやく、「これです」と言える形になって目の前に現れた。自分の世界を、AIにも少し理解してもらえたような気がして、何とも言えない喜びがあった。

思えば、創作をしていて一番嬉しいのは、こういう瞬間なのかもしれません。

頭の中には、確かに何かがある。でも、まだ誰にも見えない。自分にも完全には見えていない。

それを、鉛筆で描いたり、絵の具で塗ったり、文章にしたり、デジタルで加工したり、AIとやり取りしたりしながら、少しずつ外へ引っ張り出していく。そしてある瞬間、「ああ、これだったんだ」と、自分自身が初めて見て理解する。

創作というのは、頭の中にある完成品をそのまま外へコピーすることではないのかもしれません。

作りながら探して、迷って、失敗して、ようやく出会う。

そう考えると、作者自身も、完成するまで作品の全貌を知らない。今回の『竜宮城大作戦』は、特にそんな作品でした。

そして、海が紙の上に現れた!校正刷りを手にした時の喜び

そんな長い制作を経て、ついに、校正刷りが到着。

段ボールを開けて中から本を取り出して、表紙をじっくり見る。手に持って、パラパラとページを開く。

そこに、海があった。

画面の中で、何百回も見た絵です。拡大して縮小して比べて直して。また見て。もう見飽きるくらい見ていたはずなのに、紙に印刷された瞬間、まるで違うものに見えました。

光の差し込む海。サンゴ。竜宮城。クジラ親子。乙姫。ビーバー。ビーすけ。デブラ。…全部、本当に一冊の本の中にいる。

ページをめくるたびに、自分が何か月もかけて作っていた世界が、順番に現れていく。

トビラをめくると海が広がって、物語が始まる。事件が起こり、竜宮城へ連れられ、そこでクジラ親子と出会い、みんなで星屑を拾う。…そして、物語が静かに終わる。

絵を一枚ずつ作っていたときには、この感覚はありませんでした。

バラバラだったものが本になった瞬間、初めて、全部が一つの作品になった。そんな感じがしました。一枚の絵ではなく、一つの文章でもなく、表紙だけでもなく。

36ページ全部が揃って、ようやく、『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』になった。

校正刷りを最初から最後までめくったとき、「ああ、ここまで来たんだ」という気持ちが、じわじわと湧いてきました。そして同時に、ちょっとだけ笑ってしまいました。

最初は、「すでにある作品を使えば、0から作るより効率的なんじゃない?」なんて考えて始めたはずなのに。全然、楽じゃなかった!!(笑)

むしろ、昔の作品を残しながら、今の自分で作り直すという作業は、思っていた以上に大変でした。

でも、だからこそ。この本を手にしたときの喜びも、前の2冊とは少し違いました。

3冊目なのに、初めて本を作ったような気がした

今回で、紙の絵本は3冊目。だから、「自分の作品が本になる」という体験自体は、初めてではありません。

あやしいサーカス見開きテントページ

1冊目には、1冊目にしかない感動がありました。

ムシムシ王国のぼうけん画用紙鉛筆画下描き

2冊目の『ムシムシ王国のぼうけん』では、白黒の鉛筆画から始まったイラストを…

ムシムシ王国のぼうけん書き込み絵の集合体2

自分自身の手で17枚ものアクリル原画として描き上げ…

ムシムシ王国のぼうけん絵本版文章

それを紙の絵本として手にする。という、また別の大きな喜びがありました。

でも、3冊目の『竜宮城大作戦』にも、前の2冊とはまったく違う感動がありました。

なぜなら、今回本になったのは、昔の自分が作った世界だったから。

YouTubeでは、紙芝居アニメだった。声があって、音楽があって、絵が切り替わっていく。

それが数年後。同じ物語が、今度は紙の上にある。ページをめくれば、海が広がる。手で触れる。本棚に置ける。閉じても、そこに存在している。

同じ世界なのに、違う世界。それが、ものすごく嬉しかったんです。

そしてもう一つ。今回の本には、AIと何度もぶつかりながら作った時間そのものが、全部詰まっています。世の中には、

「AIの絵はAIっぽいから嫌だ」
「AIで作るのは邪道だ」

という考え方もあります。

私自身、以前はそれに近い感覚を持っていました。だからこそ、完成した本を見たとき、少し不思議な気持ちになりました。

ここにあるのは、私が昔描いたキャラクターです。私が作った物語です。私が決めた構図です。でも、そこには、昔の私だけでは作れなかった光や空気もある。そして、AIだけでも、この本にはならなかった。

昔の自分。今の自分。そして、新しい道具(AI)。

その三つが重なったことで、初めて生まれた一冊でした。だから、3冊目なのに、どこか初めての方法で、初めて本を作ったような気がしました。

過去作品を未来へ連れていく「Project LUMINA」

1冊目と2冊目の絵本を作った時、私の中にあったのは、とてもシンプルな想いでした。想いというか、願いに近いものです。

自分のキャラクターと物語を、絵本にしたい。

ただ、それだけ。でも、『竜宮城大作戦』を作り終えた時、少し違う気持ちが芽生えていました。

この世界を、これから先も作っていきたい。

一冊作って終わりではなく、昔作った物語も。YouTubeに残っている作品も。まだ紙になっていないキャラクターたちの冒険も。少しずつ、今の自分で拾い上げて、本として残していきたい。

…そんな気持ちが、心の奥底から自然と溢れ出ていました。

この一冊から、Project LUMINAが始まった

そこで生まれたのが、Project LUMINAでした。

AIを使って、昔作った作品を今のふるもーすの世界観で再構築する。

ただ綺麗にするのではなく、キャラクターは守る。そのキャラらしい表情や仕草を残す。そのうえで、背景を作る。光を入れる。空気を作る。紙の上で、彼らが安心して暮らせる世界を作る。

そして、一冊の本として未来へ残していく。『竜宮城大作戦』は、その第一号になりました。

考えてみると、これは単なる「昔の作品の再利用」ではなかった。

昔の自分が残してくれたものを、今の自分が受け取る。
そして、今の自分ができることを足して、未来へ渡す。
過去作品を、未来へ連れていく。

…そういう作業でした。

だから私にとって、この一冊は、3作目であると同時に、新しい1冊目でもあります。Project LUMINAという、これから続いていくかもしれない長い本棚の、一番最初に置かれた本。

もしこの先、4冊目。5冊目。10冊目…と絵本が増えていったとしても、きっと、この本を見れば思い出すと思います。ああ。ここからだったな、と。ここから始まったんだ、と。

過去のYouTube紙芝居が絵本になって生まれ変わった感慨深さ

最初は、YouTubeの紙芝居アニメのために描いた、16枚の絵でした。

一枚描いて、次の場面を描いて、セリフをつけて、音を入れて、動画にして、公開する。その時は、それで完成だった。

まさか数年後、その16枚をもう一度引っ張り出して、一枚ずつ向き合い直すことになるなんて。

AIと喧嘩するように何度もやり取りしながら、海の光を作って。竜宮城を作って。クジラの寝床を作って。印刷できるように整えて。文章を配置して。表紙を作って。36ページにまとめて。

最後には、本当に一冊の本になってしまった。

あの頃、YouTubeのために一枚ずつ絵を作っていた私は、この作品が数年後、紙の本になるなんて想像していたでしょうか。

多分、していなかったと思います。

でも、昔作ったものって完成した瞬間に全部が終わるわけではないのかもしれない。その時には見えなかった可能性が、数年後、突然見えてくることがある。

当時はできなかったことが、今ならできるかもしれない。昔の自分が残したものが、未来の自分にとって、思いがけない贈り物になることもあるんだと、改めて感じています。

終わりに:昔の自分へ、この本を返しに行く

今回、『竜宮城大作戦』を作りながら、私は何度も昔の絵を見ました。

昔の自分が描いたビーバー。ビーすけ。デブラ。亀。乙姫。クジラ親子。線はシンプルで、背景がない絵も多々あって。今ならもっとこうするのに、と思うところも沢山ある。

でも、その絵がなかったら、今の絵もありませんでした。

昔の自分が、ちゃんとそこまで作ってくれていた。物語を考えて、キャラクターを動かして。16枚の絵を描いて。一本の動画にして。ちゃんと、未来の自分が拾える場所まで、作品を運んでくれていた。

そう思うと、昔の絵を見ても「下手だったな」とは、あまり思わなくなりました。むしろ、「残しておいてくれてありがとう」という気持ちに近いです。

そして今。私の手元には、『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』という一冊の絵本があります。

表紙を開けば、海が広がる。

ページをめくれば、昔描いたキャラクターたちが、新しい世界の中を泳いでいる。あの頃には描けなかった光の中で、あの頃と同じ顔をして、楽しそうに動き回っている。

それを見ると、なんだか、昔の自分と今の自分が、一冊の本の中で一緒に絵を描いたような気がします。

だから、もしあの頃の自分のところへ、この本を一冊だけ持っていけるとしたら。私はきっと、難しいことは何も説明しません。

AIがどうだとかKDPがどうのとか何年後にこうなるとか、そんなことは言わずに、ただ、完成した本を一冊渡して、こう言うと思います。

「あの時作った紙芝居、ちゃんと本になったよ」って。それで、十分です。

『ビーバーとビーすけの竜宮城大作戦』

昔作った物語に、もう一度会いに行くところから始まった一冊。そして、これから先もふるもーすの世界を作り続けていくための、新しい最初の一冊。

この海の向こうに、次はどんな世界が待っているのか。それは、まだ私にも分かりません。

でも、ビーバーたちはきっと、そんなことは気にせず、またどこかへ遊びに行くのでしょう。そして私は、その後ろを追いかけながら、彼らの次の物語を、また一冊ずつ、本棚に残していけたらと思っています。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

ふるもーす

-STORY & CHARACTERS(物語とキャラクターの舞台裏), 心のしおりと作品の記憶(作品紹介・ポートフォリオ)
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